倉橋税理士事務所 倉橋敏文のオフィシャルブログ

ドイツ駐在時代1990年の様子(3)2018.11.23

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クリスマス・年末に、毎週土・日曜日に遊びに来る近所の人と一緒にオーストリアのザルツブルグの南のザールバッヒという所にスキーに行きました。南ドイツやオーストリアの建物はクリーム色で明るく美しく空気が新鮮でした。馬車で村を走りましたが、夜空一面にくっきりと見えた星の美しさが忘れられません。あのロス五輪の100M走の女王ジョイナーもスキーに来ていました。
今年の2月には、パリに出かけ家内の案内で一通り観光した後、モンマルトルで気に入った日本人画家T氏の絵を買い、近くのレストランでアコーデオンによるシャンソンを聞きながら食事をしました。その画家はその場で絵を描いていましたが、色彩が明るく魅了され結構な値段で買いました。土曜日に注文をして月曜日に絵を取りに行き、昼食も一緒にして2時間程話しましたが、離婚して2人の子供はシシリー島にいること、そのような逆境の中で明るくアグレッシブに前向きに仕事をしていることに感銘を受けました。日本人ではありましたが、ロートレックやモジリアニの世界を見る気がしました。北海道出身の人でポーランド人と結婚して別れておられます。
また、ピエ・ド・コションで食べた生牡蠣と海の幸の新鮮なこと、おいしかったことが忘れられません。子供を寝かせて家内とクレージーホースに踊りを見に出かけましたが、女の子の裸のお尻ばっかり出てきて少々飽きました。次は、やはり昔なつかしいムーランルージュに行きたいと思います。
この4月の復活祭には、スペインのマラガ、コスタ・デル・ソルのネルハという所に1週間滞在しその内2日間グラナダに行きました。コスタ・デル・ソルの建物は白く空と海は真っ青、風と空気と水は新鮮で全てが明るくドイツの暗い冬(真冬は昼3時半頃には暗くなります。)を経験した私には天国のように感じられました。スペインや南フランスの明るさ故にピカソ、マチス、レジエ等の絵があれほど明るく官能的であることが理解されます。夜は、9時半頃まで明るく日本と緯度は同じ程度なのに何故だろうと疑問を感じました。後でわかったことですが、ヨーロッパ大陸は同じ時間を使ってまして、スペインは、一番西の端の方にありますからドイツ等に比べて1・2時間日が長く、そのかわり日の出が遅い時間になるのです。スペインでは古い車が多く、グラナダの町はその排気ガスで汚れていました。また、あるレストランの場所を老紳士に尋ねると親切に案内してくれるので付いて行くとちゃっかりお金を取られました。交差点の赤信号で待っている時もティシュペーパーを売りに来ますし、お城で駐車しようとした時も、無理矢理ある場所に止めさせられてお金を要求されました。グラナダにがっかりさせられましたものの、学生時代からあこがれのアルハンブラ宮殿を見て堪能しました。白く雪を頂いたシエラネバダ山脈をバックに丘の上にたつ宮殿はあくまで美しく、夜、金剛色の光に浮かぶ宮殿はあくまで神秘的でした。アンドレス・セゴビアが世界で最も美しいところと言った意味が感じられます。アルハンブラ宮殿は、アラブのヨーロッパ最後の砦であり、彼らはそこに地上の楽園を作ろうとしました。宮殿の各部屋のきらびやかなアラブ文様には、永遠の時間と空間の美が感じられます。アラブ王はそのハーレムで妃4人と何十人もの妾とアラビアンナイトの世界を繰り広げたのです。中世がこの地で終わったのではないでしょうか。即ち、1492年この地の最後のアラブ王はスペイン女王イサベラにこの宮殿を引き渡したのであり、同年コロンブスはこの宮殿で女王に会見しその命を受けてアメリカ大陸発見に旅立ったのです。