倉橋税理士事務所 倉橋敏文のオフィシャルブログ

硫黄島の戦い2018.11.24

カテゴリー:

安倍首相の米議会演説の中で硫黄島の話を読んで目頭が熱くなりました。
というのは2014年5月末に青山繁晴さんと一緒に日本丸による硫黄島クルーズに参加したことを思い出したからです。
青山繁晴さんの「硫黄島の戦い」のご講演をお聞きし涙しましたが、私の感想を交えてそのお話をご紹介したいと思います。

栗林中将(後に大将昇進)は米国での大使館勤務により米国をよく知っていたため、小笠原に司令官として赴任を命ぜられました。
米軍がサイパンから日本本土を空襲する計画があり、その中間地点に給油基地を作るため、日本の何れかの島の占領を狙っていたことを栗林中将は把握していました。
栗林中将はそういう中で小笠原の地形から米軍が小笠原ではなく硫黄島を狙うことを確信し、硫黄島の住民1千人以上を小笠原に疎開させて救いました。
そして軍人・民間人2万人以上を引き連れて硫黄島に上陸して守りにつきました。
しかし、人心バラバラであったところ、栗林中将は、米軍が狙っていた日本本土空襲で女子供を含めて根絶やしにすることを食い止めるため、米軍が入って来れない地下壕を掘って、ゲリラ戦で硫黄島を1日でも長く守り抜く必要があることを説いて回り、絶対に突撃しない、自決しないことを命じました。
米軍は11万人で硫黄島に簡単に上陸はできましたが、5日間で戦闘を終わらせる計画のところ、日本側はゲリラ戦で35日間硫黄島を守り抜いたのです。その結果日本側2万人以上戦死、米軍7千人以上戦死しました。
日本側で捕虜として生き残った方は1千人程度とのことです。
この硫黄島の戦闘は日本領土での最初の戦いであり、この後沖縄で多くの住民の方々が犠牲になられておられます。
しかし、終戦後日本はこの硫黄島の戦いを忘れ、政府は遺骨を回収することなく、その2万人の遺骨の上に、滑走路を建設し自衛隊の基地として、民間人の立ち入りを禁じたのです。
毎年硫黄島で日米合同の慰霊祭が催されますが、米側は国費で来島されるのに対して日本側は自費です。
硫黄島のことは日本では忘れ去られましたが、米側では戦死した日本人をも英雄として称えており、クリントイーストウッドが米側と日本側から見た両方の映画を作っています。
青山氏は米国特派員の頃から米側の資料を見て、この硫黄島に大きな関心を持ち、民間人立入禁止のところ政府を説得して、民間人として初めて硫黄島のゲリラ戦の跡を探索し、生き残った方の話を聞いて、上記の硫黄島の戦いの真実を調査されました。
青山氏はこの調査の結果を安倍首相に説明され、内閣府の予算で硫黄島の遺骨を回収することになったそうです。
青山氏は硫黄島探索の最後、トーチカの中で栗林中将の慰霊と栗林中将が思い描いた末娘タコちゃんの姿を見られ、栗林中将から今日本はどうなっているのかと聞かれたそうです。
この硫黄島を守った2万人の方々は無私の心で祖国のために亡くなられた方々であり、この尊い魂の上に今の日本がありますが、今の日本人の多くからこの尊い魂の心が失われつつあるのではないかと危惧されます。
青山氏のお話を聞いて、私はこの尊い魂こそ人間にとって最も大事なものではないか、不滅のものではないか、日本国民だけではなく全世界がそのことをわかれば、この世界はもっと平和な良い世界になるのではないか、そのために私にできることがあるのではないか、何をしたらよいかを考えさせられました。
これからずっと考え続けようと思います。