カテゴリー:随筆
1989年7月に2泊3日で西独東端のカッセル及び東独西端のアイゼナッハに行きました。アイゼナッハは通り過ぎただけですが、東独と西独の差は歴然としていました。東独の道は舗装されていないところが多く、途中行き止まりで挙げ句の果て森林の中の細い道を車で走ったり、今にも分解しそうなトラクターや乗用車、戦時中そのままといった感じの建物・バラックに出会いました。アイゼナッハのレストランでは、魚のカツと野菜だけの昼食一皿で15マルク(約1,500円)もとられ、西独以上に料金が釣り上げられていると感じました。東独の平均給料は、7月の通貨統合後も35%程度しか上がらず平均1,500マルク程度と聞いておりますが、その給料ではその様なレストランには入れず、実際その時の御客は西独からの観光客ばかりのようでした。統制されていた食料品も一斉に値上がりし、東独の人は西独のディスカウント・ショップに殺到しているとのことで、そんな状態では暴動が起きるのではないかと心配されました。
一方、ハンブルクでは、カールシュタットやカウフホフ等の一流百貨店で東独の人だけが購入できる売り場をもうけ、柄物シャツ3マルク等の特別安い値段で商品を提供したそうです。この辺にドイツ人の長所が感じられます。